浮世絵展 美術館・博物館

2008年08月07日/ 沖縄の歴史文化を極める

那覇新都心に昨年移転オープンした美術館・博物館は何度か行ったことはあるでしょうか?




そこでは琉球の尚家(琉球国王だった頃)の品々が数多く並んでいます。
また沖縄の亜熱帯の様子やアメリカ世だった頃や昔の生活・集落の様子なども、分かりやすく展示されています。


さて、そこからバイバス沿いに進むと、浦添美術館がある。


ここはかなり立派な建物だ。


なかでは「浮世絵展」が開催されていた


美術館の横にはてだこホールなどもあり、裏には競技場や大公園など充実したスペースが並んでいる。
一度足を運んで見てはいかがでしょうか
  

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慰霊碑の奥に知花グスク

2008年07月16日/ 沖縄の歴史文化を極める

知花グスクの看板は目にした方は多いと思います。
国道沿いに大きな看板があるので、わかりやすいかと。


そこに向かう手前に慰霊碑があり、平和の礎のように先の戦争でお亡くなりになったコザ(沖縄市民)の
方々の名前が刻まれている礎もあります。



気になるのが、なぜかその手前に「トリイ」
なんだか個人的にこの「トリイ」が快く思えない!














さて、知花グスクとは・・・・
越来間切は中山の中でも、かなりの敷地面積を誇っていたので、番所の一部出張所みたいな存在だった
と考えられ、番人がいたとされています。

うっそうとした感じですが・・・・

なぜかおかしな展望台があってとなって、景観を壊してます。
なぜコンクリートにしないとダメなんだか・・・・・あれでは台無し↓



嘉数の高台も、どこもそうですが、景観を考えてない昔の発想!
見直す時期に来ていると思えます。


さて、その奥に鬼大城(大城賢勇)のお墓があります。

勝連の阿摩和利の元から、悲劇の皇女「百登踏揚」を首里城まで連れ戻り、
阿摩和利を討ち取った人物とされていますが・・・・・

のち鬼大城(大城賢勇)は「百登踏揚」を妻にして越来城で暮らしていたのもつかの間・・・・




今度は政権がクーデターにより「尚円金丸」になると、もっとも金丸にとってのライバルである鬼大城は
何としても片付けておかなければならない人物となってしまった。


知花グスクまで追い詰められた鬼大城はそこで最期を迎える。
今でも知花グスクの奥には鬼大城のお墓がある。



尚泰久王の重臣であった「金丸」と「鬼大城(賢勇)」はともに皇女である美しい「百登踏揚」
に対して思いを寄せていたのも事実!この面でもライバルと言える。


特に鬼大城は「百登踏揚」を勝連の阿摩和利に嫁がせるのは、ショックが大きかった!

一方の金丸とて百登踏揚には密かに好意を寄せてはいたが、彼には陰謀があった!




続きはまた次回・・・・
「百登踏揚」に関しては別の機会に触れてみたい!

  

Posted by コザの入口 at 05:20Comments(0)TrackBack(0)

越来プロジェクト 他市町村編

2008年07月09日/ 沖縄の歴史文化を極める

参考までに<浦添市>の場合を覗いてみよう!



首里城(世界遺産)より以前、中山の都が浦添だった(瞬天・英祖・察度)


ここも浦添城・英祖墓・尚寧王墓など、先の戦争によって(前田高地:激戦地)破壊されつくし、
さらに戦後は砕石場とされた。


跡形もない浦添城周辺は現在は、浦添大公園となっているが、最近、浦添城は整備事業を積極的にしている。



グスクの石垣を再現↓着工しだした





すでに英祖陵・尚寧王陵である『浦添ようどれ』は世界遺産に登録しても問題ないくらい整備されている。





「ようどれ館」においては英祖陵の中をそっくり再現してある。
レプリカとわかっていても、お墓の中の様子、さらに石棺の中にある人骨には驚く。

首里城そばにある「玉陵」(世界遺産)より、断然面白いし、迫力がある。



さらに大型バスの駐車場も場所を確保し、工事着工を待っている状態だ。


浦添市は教育委員会・文化課の力の入れようが違うと感じた。
しかし、それには実はわけがあった!!


教育委員会がショックを受けたのが・・・・


地元の中学生に「浦添城」について存在や場所を知っているか「アンケート」を取った結果、
なんと78%の生徒が場所も存在すら知らない!首里城なら知ってるけど!と答えたそうだ。


そこで、悩んだ教育委員会が、まず城下の中学生を対象に、自分達の街の文化財・史跡を知ってもらうプロジェクト!
授業として、浦添城や王墓・御嶽などを巡るコースを我々歴史ガイドに依頼してきた。



教育委員会が予算を取って、城下の浦添中学の全1学年(7クラス)を対象に歴史・史跡・文化財を
案内してもらう計画だ。

また、今後、地域を広げて、各市内の学校の子供達に「我が街の誇り」を感じてもらうプロジェクトに乗り出した。




これはすごい!

まったくコザ(沖縄市)にも同じことが言えるであろう。

何も!整備されて完璧な首里城を求めているわけではない!


史跡や文化財を大切に!街の誇りを感じられる子供達に育って欲しいだけだからだ。

我々歴史ガイドとしても、むちゃくちゃ張り切ってしまう。



何とかして、コザ(沖縄市)でも、教育委員会にかけあって中学生や小学生を中心に
自分の住む街の歴史を肌で感じてもらいたい!授業としてやってもらいたいと願っている。


グスク整備やら・公共工事などはそんなに大掛かりではなくていいのだ。

歴史ガイド達が子供達を連れて歩いて説明するだけでも十分ではなかろうか・・・・・  

Posted by コザの入口 at 08:02Comments(0)TrackBack(0)

越来プロジェクト

2008年07月08日/ 沖縄の歴史文化を極める

最近【越来プロジェクト】なる言葉を耳にするようになった。

史跡・文化財を大切にしていこう!と思う人々が増えて来たのだろうか・・・・


コザ(沖縄市)には琉球史の中でも重要な文化財の宝庫なのは言うまでもない。
(越来城・尚宣威王墓・知花グスクや御嶽など)

これをどう考えるかだ・・・・


基地の街として63年の戦後史しかない!?ような?
(地元の人々すら知らない史跡・文化財が埋もれているだけに)
この地域性を、今、見直す時期に来ているのかもしれない。


史跡や文化財は各市町村の「教育委員会」や「文化課」がどれくらいの情熱を持っているか!
また、どれくらい予算を取れるかによるのだろうか?

また、それを発信する力も必要だ。

地域住民が誇りに出来るだけの歴史がコザ(沖縄市)にはあるだけに・・・・はがゆい!


他市町村が動き出している例を次回書いてみようと思う。  

Posted by コザの入口 at 21:41Comments(0)TrackBack(0)

越来城とは・・・

2008年07月02日/ 沖縄の歴史文化を極める

コザ(沖縄市)にある「越来城」をご存知の方はどれくらいいるのだろうか?



琉球の歴史的においても、また首里城にとっても『越来城』は重要な「城」だったのは間違いない。


尚巴志が三山を統一した時代は、まだまだ地方の有力「按司」達が、常に王権を狙っていたと考えられる。
それらを監視していた要所だ。



当時「越来王子」と呼ばれた者が、時期、首里城の王位につく勢力を持っていた。

現に越来王子だった「尚泰久(尚巴志の7男)」が第一尚家の6代目王になっている。
また、その息子である尚徳も7代目王に就いている。


中城の護佐丸の孫でもあり、勝連の阿摩和利に嫁いだ、悲劇の皇女『百登踏揚』が幼少時に
居城していたとも。

※悲劇の皇女「百登踏揚」はまた次回ふれたい。




さらに時代がクーデターにより、第二尚家に変わった後も、越来王子に就いていた「尚宣威」が、
第二尚家の2代目王になっている(陰謀によって半年後には越来城に隠居したが・・・)




そのように琉球の歴史上、クーデターが起こった背景の重要『ポイント』だった越来城だが・・・

現在では忘れ去られた存在のように公園として・・・
跡地の一部がかすかに残っている。




戦後色々あったと聞いているが、それは首里城とて同じ事。

首里城の地下が旧日本軍:第32軍司令部壕になっていたゆえに、壊滅的な被害を受け、
さらに戦後は琉球大学のキャンパスになったわけだし・・・

琉大を西原キャンパスに移動し、首里城を復元したのは、まだ平成4年:1992年のことだ。
(平成12年:2000年世界遺産登録)




事情や背景が違うから、一概に比較はできないが・・・・
復元もされず、何となくここがそうだった程度!?になっているのは非常に残念な事だ。



勝連城↓



中城などは↓
地方按司の居城にすぎないのに、外壁が修復され「世界遺産」になっている。


それを考えると現在の「越来城跡地」の忘れられた存在が悲しいものを感じる。

もっと「越来城」に関心を持ってもらいたい。

地元の人達ですら、その存在を知らない人々が多い。

地元の誇りに思える歴史観を持ってもらいたいと願うのは私だけであろうか・・・・・










by うるまっち  

Posted by コザの入口 at 16:59Comments(0)TrackBack(0)