身近な史跡・・・その2

2008年09月04日 / うるまっちの業務報告

身近な史跡シリーズ!<やちむん編>

東南植物園のそばに火葬場があり、その駐車場わきに「知花焼」の登窯だった場所がひっそりとある。

琉球における焼き物の歴史は、西暦1430年頃から始まると伝えられています。

中部に、喜納焼・知花焼・山田焼等の古窯が散在してた。
おもに荒焼と呼ばれる無釉(むゆう:上薬を施さない)のもので、酒ガーミ(泡盛を入れる容器)や水かめ、
生活に必要な日用雑器等が焼かれていたようだ。

知花焼の復活を伝える南島風土記によれば「知花は美里村の中央にあり、西原字より松本字を経て半道余、知花窯を以て知られる。尚寧王時代の人名に芝巴那とあるものこれなるべし。知花窯を俗に知花焼と唱え、その手法は南蛮伝の如し」とある。

南蛮焼は、はじめ長浜に近い喜名で焼かれ16世紀に入ると知花に移った。
前者を「喜名焼」後者を「知花焼」と呼んでいる。

さらに時代が進み、尚貞王の時代1682年頃に、一部の陶窯(美里村知花窯・首里宝口窯・那覇湧田窯)が那覇の牧志村に移され、現代の那覇市壺屋焼の基となりました。http://www.okinawainfo.net/yachimun07.htm


今の那覇市壺屋に各地の陶窯を集めて官窯としたが、それまで知花で焼かれたとの記録がある。
(以来300年、消えた窯の火を灯し、中川伊作氏が復活した知花窯は、知花城址を仰ぎ見るところにある。
古窯址の知花に登り窯を築いたのは本土復帰後の1977年78才の長老になってからである)



=近年編=
その後、先の大戦で沖縄全土はダメージを受けますが、壺屋は比較的戦災を免れ、再興に従って徐々に元通りになります。
しかしながら、周囲が市街地のため、薪窯による煙害が深刻な問題となってきました。

那覇市は公害対策のため、薪による窯を禁止、伝統的な技法を使えず壺屋焼は岐路に立たされることになりますが、その時、周辺に良質の陶土が豊富な読谷村が、窯元の積極的な誘致を行い、前出の金城次郎氏を初め多くの陶芸家たちが壺屋から読谷村に移りました。
現在では多くの窯元が集まって「読谷やちむんの里」http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/yachimun.htmとして人々に知られはじめました。

また壺屋にも多くの窯元が残り、この一角が壺屋やちむん通りと呼ばれるようになったようです。

現在では電気窯を使って公害対策をしていると聞きました。  

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海の渋滞ツアー

2008年08月30日 / うるまっちの業務報告

しかし夏休みってこともあって・・・・観光地は混雑しているものだが・・・・

海の中まで渋滞とは・・・・


しかもダイビング族は海底を!シュノーケリング族は海面を!
それぞれがド渋滞しているのだ!!


立体的な渋滞って・・・・羽田空港の飛行機の渋滞くらいかと思ったら・・・
水中にもあるのですね・・・


前の人のフィンが顔にぶつかり、横の人にぶつかりながら・・・・
渋滞の海中!熱帯魚もウジョウウジョしているけど、人もすごい!

さらに、ボート・シーカヤック・グラスボートなどなど・・・・で海面が埋め尽くされていた!!


そうは言っても、楽しかった!

この貴重な珊瑚礁の海
熱帯魚の宝庫

大切にしたい財産だ!


もし、まだ沖縄の海の中をご覧になってない方は、是非、見て頂きたいと感じました。



※沖縄本島の一部分の話ですので、離島(ケラマ諸島)などは、まったく渋滞などございません。あしからず。  

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コザ周辺の史跡(屋良ムルチとウガングヮーヤマ)

2008年08月29日 / うるまっちの業務報告

今回は、いつも通っているけど、あまり知られていないと思う二ヶ所をご案内します。


嘉手納「道の駅」から少し先にある

①「屋良ムルチ」の看板を気にとめる方は少ないと思います。
戦闘機マニア達がカメラを向ける、反対側にこの看板があります。

歩いて少し下ると・・・・

1人で行くにはかなり勇気がいるが・・・

うっそうとしている森の奥に・・・・沼がある!

いや・・・実は川だが・・・・(比謝川上流)

やはり伝説のとおり・・・・な・・・場所である。
うっすら怖い感じ・・・・本当に大蛇がいそうである・・・


<伝説>
屋良ムルチに恐ろしい大蛇が住んでいた。
干ばつや長雨によって多くの人が死んだのは大蛇の怒りだと知った王は、その大蛇に辰年生まれの娘をいけにえに捧げると決める。
そこへ両親のいない娘が、1人きりの祖母の身寄りを王様に頼み、自分は「いけにえ」に申し出た。
儀式は執り行われ、娘は大蛇の住む池へ身を沈める。
娘が大蛇に喰われる寸前の所で神様が現れ、その大蛇を退治して災害を除いた。
その後、勇気ある娘は王子の嫁になり、祖母と一緒に幸せに暮らした。

※現在でも、屋良集落の祭事として毎年旧6月15日には御供えをして豊作を祈願しています。




②ウガングヮーヤマ(ウガングヮーニー)高原十字路

ここもいつも通っている場所だけど、案外、知られてない場所です。

実はここ・・・・船着場だったそうです。
つまり・・・ここまで満潮時は船が入って来たと言われています。

階段を上がると拝所がある(この辺りは森だったそう・・・)


<伝説>
勝連の阿摩和利の陰謀を知った鬼大城は、阿摩和利に嫁いだ百登踏揚(尚泰久の娘)を背負い、
一緒に首里城まで逃れる途中、この辺りで祈願し、豪雨を降らし、追っ手から逃れたとされる場所だ。

※現在も旧暦ウマチーやアブシバレーなど年7回行事がある。また普段は健康や安全祈願をする拝所だとか。


ここまで満潮時は船が入ってこれたと聞いて驚かれる方も多いことでしょう・・・・

またこのような史跡・拝所があることを地元の方も、案外、知らない方が多いのです・・・

これを機に、違った視点から歴史に触れてみるのもいいかもしれません。
  

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国王と王妃さま

2008年08月26日 / うるまっちの業務報告

首里城祭で(10月24日~11月3日)  詳細→http://oki-park.jp/shurijo-park/


今年も王様と王妃様を募集する。



昨年は15周年記念で首里城正殿前の御庭(うなぁ~)にて冊封儀式が行われた。

<冊封儀式とは>
中国皇帝を頂点とする、その周辺諸国へ使節団を派遣し、中国皇帝の名のもとに、その国の
王を任命する国王の即位式。

昨年はこの儀式を間近に見て大変感動したものである。

国王の堂々たる姿に・・・・(昨年は大学生だったと聞いたが・・・)惚れ惚れして見入ってしまった。



今年も琉球王朝絵巻行列が行われる。
豪華絢爛で楽しみである。


また「中秋の宴」も古典舞踊や組踊の演目が並ぶ。9月13日(土)~15日(月)【予定】
※かつて中国皇帝の使者「冊封使」をもてなした冊封七宴のひとつ「中秋の宴」

詳細→http://oki-park.jp/shurijo-park/event/chushuu2008/chushuu-program2008.html

こんな機会に琉球の歴史・文化に触れてみてはいかがでしょうか・・・・  

Posted by コザの入口 at 20:13Comments(0)TrackBack(0)

歴史に触れて・・・

2008年08月25日 / うるまっちの業務報告

夏休み親子グスク探検にヘナアートのダンさん親子も参加してくれました~


暑い中、早朝から200名以上の参加に感謝!


最年少の男の子も最後まで頑張りました~

この子が大きくなった頃には・・・きっとこのグスクも立派に復元されていることでしょう~


この模様は琉球新報に後日、掲載される予定↓

掲載されました↑

琉球の歴史は奥が深いのです。
「知るを楽しむ!」を皆様にも触れて欲しいと願っています。
  

Posted by コザの入口 at 10:55Comments(0)TrackBack(0)